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平井正三先生の「講演」アブストラクト

大震災と詩

平井正三
御池心理療法センター/ NPO法人子どもの心理療法支援会

【以下は、日本語臨床コンベンション〔2011年5月〕での発表抄録をもとに雑誌『学術通信』99号〔岩崎学術出版社, 2012年4月〕に収録された文章を、当サイトに一部掲載するものです――全文は同誌をご参照ください】

私にとって今回の大震災の経験のなかで衝撃的であったことの一つは、他の多くの人と同じく、津波によって家や多くの建築物が跡形もなく流されてしまう様子でした。陳腐な表現ですが、自然の驚異の前に人間の作り上げたものは無力ではかないことを、あらためてつきつけられました。
もう一つ、私の心の中に繰り返し起こって来たことは、「あの津波で人のつながり、家族や友人たちをすべて失った人たちは、どのようにして生きていくのだろう」という問いでした。人がつくったものだけでなく、人の命も、また人と人とのつながりも全くはかないもののように思えてきます。こちらの方は、大震災でなくても、病気や事故などによって実はこの瞬間にも世界のあちこちで起こっていることなのです。しかし家も建物も普通に存在し、社会はいつも通り動いているように見える、日常の世界では、こうした人生の実相は姿が見えなくなっています。
こうした思いのなかで、私の心を捉えたことの一つは、さまざまなメディアのなかで、詩や歌がいつになく脚光を浴び、人々の関心の的になっていることでした。私が心を動かされた出来事は、ロンドンのミュージシャンたちが震災支援コンサートを行い、その最後にビートルズのacross the  universeをみんなで大合唱したことです。この歌は次のよ
うな詩句が含まれています。

Limitles undying love which shines around me like a million suns,
It calls me on and on across the universe
……  ……  ……
Nothing is going to change my world.

 こうした詩句は励ましであるとしても、最初に述べた「自分の世界を構成すると通常思われているものを何もかも失った人に、何か真実の響きを帯びることはあるのだろうか」というのが、この詩句に感動しつつも私の心に最初に起こってきた思いでした。
このような問題意識を持ちながら、先日私は日本語臨床フォーラムという会で北山修先生と山中康裕先生と「美と精神分析」というテーマで討議をする機会がありました。そこで、私は、次のようなクラインの考えを議論の出発点に据えました。

 ……人生のどの段階においても、不安によるストレスがかかると、良い対象に対する確信と信頼は揺るがされうるのです。……日常生活で日々触れることのできるものの中に、良いもの(goodness)への希望や信頼を見出していくことは、逆境の中にいる人々を助け、迫害感を効果的にやわらげてくれるものなのです。……  (Klein, 1957, p.194)

つまり、逆境のなかで人を支えるのは、「良い対象に対する確信と信頼」であり、「日常生活で日々触れることのできるもの」のなかに見出される「良いもの」なのであると彼女は述べています。このクラインの考えを基盤にして、さらに「対象のよさの核心は美しさであり、その美しい対象とのアンビバレントな関係が人の根源的な存在条件なのである」というメルツァーの考えを紹介することを中心に、私は話を進めていきました。その際、私は、ポーランドのキェシロフスキ監督の『青の愛』という映画とデイビッド・ミッチェルというイギリス人の『The Thousand Autumns of Jacob de Zoet 』という小説を題材にしました。『青の愛』は、交通事故で娘と夫をなくした女性が、過去の生活とのつながりをすべて捨てて生きようとするのですが、つながりを断ち切ることはできず、そのなかで苦しみながら新しい人生を歩み始めるという話です。私が印象づけられたのは、主人公の女性が音楽家であった亡き夫の遺作を破棄するように知り合いに委託するのですが、その知り合いは破棄していなかったことが分かる場面です。その知り合いは、破棄しなかった理由として、「美しいものを壊すことはできません」と述べたのでした。示唆的であったのは、その亡き夫の遺作というのがヨーロッパ統合、すなわち人と人との対立(と悲劇)を超えたつながりを祝う曲だったということです。
『The Thousand Autumns of Jacob de Zoet 』は、18 世紀末から19 世紀初めに長崎の出島に滞在したJacob de Zoet という架空のオランダ人の物語というかたちで、異文化との出会いを、胎児が子宮外の世界に生まれ出ていくイメージを重ねながら描いていきます。この小説のクライマックスで、主人公のJacobは長崎港に侵入してくる英国海軍軍艦と対峙する際に次の聖書の詩句を口にします。

……たとい、死の影の谷を歩むことがあっても、私は災いを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです。
……まことに、私のいのちの日に限り、慈しみと恵みが私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住みましょう。 (旧約聖書詩篇23篇)

 この詩句の中の「恵み」という言葉は英訳ではgoodness になっており、クラインの言う対象のよさと同じ語句です。私は、異文化との出会い、すなわち世界との出会いは、世界の美しさに惹かれるとともに、その潜在的な残酷さに恐れおののく経験であり、小説のこの場面で主人公が瀕していたのはその残酷さに打ちのめされる危機ではなかったかと考えます。その時主人公を守ってくれたのが、永遠の神の言葉である、この美しい詩句だったのでした。
こうした話を先ほどの日本語臨床フォーラムでお話しした際に、北山先生の方からは美しさとはかなさとのつながりを指摘する示唆深い話を聞かせていただき、はたと考えさせられました。確かに、日本語的感性からは美しさは、はかなさと密接に関係していることを感じます。それに対して、ビートルズやクラインや聖書の世界では、美しさ( beauty )と変わらなさ、不滅性(undying)とがつながっているように感じます。壊すことのできない美を考えることではかなさの問題を克服できるというよりも、美の問題ははかなさの問題と分かちがたく結びついているのです。再び私は“はかなさ”という現実に立ち戻らなければなりませんでした。

以下つづく――『学術通信』99号〔岩崎学術出版社, 2012年4月〕をご参照ください

北山修先生のあいさつ他(写真・動画) 東畑開人先生の「ふりかえり」随想>>

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