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「きたやまおさむ語録」

新たな国民性に挑戦
――「すまない」水、土、空気

(2011年9月 共同通信配信)

原発事故を併発した東日本大震災。まちの姿やや住民の暮らしの展望がなかなか見通せない。震災後の日本人のメンタリティーについて精神科医で作詞家のきたやまおさむさんが文章を寄せた。

 日本人は強迫的心性があるとよく言われて来ました。禊(みそ)ぎ、祓(はら)い、清めによって、さまざまなささいな事や嫌なことを処理して生きているということです。細かいことを気にしながら、それらを神経質に「すまして」生きていくことを目指し、できないなら謝罪の「すまない」が反射的に表明されます。その生き方が時計やトランジスタラジオ、車などの精密な技術に生かされ、歴史的な長所でもありました。
 ところが今回の震災で、日本人はすぐに片付かないものを背負い込みました。広い地域の片付かない問題に加え、大量に水(海)に流せない汚染水を抱え込んでしまったことです。汚れたのは水だけではなく、土地や空気もそうで、これがなかなか「すんで」いかないのです。水に流さず、なんとかそこに置いておくことができる心性が必要であり、ある程度太っ腹な、ずぶとい神経を持たなければなりません。
 年末に年忘れ、忘年会、大掃除だと言って、すべて片付けて清め新たな気持ちで新年を迎えることは、もはや簡単なことではなくなったのです。

 日本人はまた、物事に対してこれまで「裏」と「表」を使い分けてきましたが、この心性も変わるかもしれません。日常的に本音と建前と言われる日本人の心の二重性は世界的にも有名ですが、その悪い意味での代表が、「大丈夫だ」と言っていた原発が結局のところは大丈夫ではなかったという「どんでん返し」です。
私たち日本人にとっては「裏切られた思い」でしょう。この「裏切り」という言葉もうまく事情を説明しています。表と裏の間が切れ、断絶を起こしたときに「裏切り」というのです。
日本には昔話に、表向きは美女だったのに「本当の姿(裏)は見てはいけない」という禁止を破ってしまい、傷ついた鶴を見せつけられるという「鶴の恩返し」がありますが、今回の原発事故はこの昔話の結末と重なると思います。私たち日本人は、この「傷ついた日本」をずっと見続けていかなければいけないのです。
ただ、こうした汚れた日本、傷ついた日本に直面しても、なお、面白いもの、楽しいことは必要になるし、美しいものは求められるでしょう。そこで見つけられる芸術や文化の方が「きれいごと」よりも、ホンモノの強さを持っているのではないかなと思います。

 以上のような意味で、私たちは新たな国民性やキャラクターに挑戦している感じがします。喪失は、新たな出会いの可能性を生むということでもあります。被災地では大変な剥奪や喪失を経験した者同士が集まり、深い出会いを繰り返し、新たな何かを求めて新しい人生を共に生み出す動きがあちこちで生まれているのではないでしょうか。

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